「この人を会社のメンバーに迎えられて、本当に良かった。」
私たちの取り組んでいる『建設業人材マッチング』。
先日、第一号となるマッチングが成立しました!
私たちも社長さんからこんなお言葉をいただけて、うれしく思っています。
今回は、実際にマッチングを利用し、理想の仲間を見つけた会社の日高社長、奥様、そしてサポーターのM様にお話を伺いました。
あなたの会社にも、こんな運命的な出会いがあるかもしれません!
中央:日翔株式会社 日高社長
左:奥様
右:サポーターM様
目次
1 建設業(免震工事業)を始めたきっかけ
3 サポーター登録をした経緯(準備中)
4 取締役に就任して現在の状況(準備中)
5 マッチングの利用・サポーター登録を勧める理由(準備中)
6 マッチングを利用した感想(準備中)
1.建設業(免震工事業)を始めたきっかけ
まず会社の概要を社長にお聞きしたいと思います。
沖縄から関東地方に出てきたのは、どんなきっかけだったんですか?
まず広島で、跡継ぎとして造船会社に入ったんですが、自分のいろいろな思いがあって、東日本大震災とか大きな地震があったりしたので、建設会社に入って。だいぶ短縮して話さないと長くなるのですが(笑)
確かに色々あるんでしょうね。奥様とは広島で出会って、そこからまた、関東地方に来ることになって。それはやはり建設業の仕事でこちらに来たのですか?
そうですね。
現在2期目の事業年度ですが、どんなお仕事をされていますか?
支柱と建物を縁切りするような感じで、建物の基礎にゴムを取り付けて、それで地震がきても建物は揺れないで、下だけが揺れているようにする工事をしています。
これを「免震工事」と言うんですよね。「耐震工事」とは違いますよね。
「耐震」というのは、建物自体を揺れても大丈夫なように補強していったりする工事です。「免震」というのは、それとは別で、建物自体が地震に強い建物を作るというもので、地震から関係なく、地震から免れるような装置を作るからダメージを受けないというものです。
そういう意味では、今年能登の地震もあったし、結構大きい地震も多くて、これからも大きい地震があるような話しもあるので、今がチャンスと言ったら変ですが、社長の思いがより強くなるでしょうね、復旧させるためにもね。
そうですね。地震があって、だいたい2年後に免震工事の仕事が増えると言われています。
実際そういう、(東日本大震災後の対応として)仙台の方とか、東北地方の工事にも携わったりすることがありますか?
そうですね。地震があって、だいたい2年後に免震工事の仕事が増えると言計画段階としては、もう大分全国的に免震工事をすることは決まっています。やっぱり耐震ではダメなので、免震にしようという。能登半島にあった病院で、耐震性のあるビル、耐震棟と免震棟があって、耐震棟はほぼ使えなくなっちゃったんですよ。病院の敷地内が隆起してしまって。免震棟の方も地面が隆起してしまったら意味はないのですが、今回は免震棟はノーダメージだったそうです。
実際にそういう現場があるんですね。免震だったから被害を免れた現場があるのなら、ますます免震工事は必要な工事になっていきますね。
ただ、今回の能登半島の地震はイレギュラーで。地面が動くというのは、こうやって地面が横に動くことが多いのですが、能登半島の地震のように、地面が上に隆起すると、その場合はあまり免震の効果がなくなるようです。免震工事は基礎として構造的には強みがあるのですけど、地面自体が崩れてしまうと意味がなくなってしまいます。
その辺もまた、地面の隆起とか、そういうことにも対応できるような装置が少しずつ開発されてきたりするかもしれないですね。
誰かが開発してくれたら、成功するでしょうね。
前にスカイツリーを建設したときも、大きな球みたいなものを下に置いて地震がきても大丈夫なようにしているようですね。
そうですよね。
前に「免震工事」というのは、あの頃から、もうだいぶ広がってきている工事の手法ですね。
そうですね、免震工事自体の歴史は長いですが、技術的に確立されたここ20年なので。
では、ご自身で法人を設立される前は、そういう免震工事の会社にお勤めになっていたのですか?
法人化する前は、免震工事をやっている会社で、現場監督の立場として入ったりしていました。
なるほど、今の元請会社さんにもともと在籍していらっしゃったんですか?
はい、現場全権を握っていいよっていう立場を与えてもらって、そこで勉強しながら施工もできるようにきちんと技術を磨いていました。そのような状況で、独立して、そろそろ法人にしなさいと言われて。
要は大きい仕事を下請に出すから、建設業の許可もとらなきゃいけないと。それで許可をとる話になったのですね。